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佐野ラーメン

佐野も早くからラーメン店が立ち並んでいた所でした。昭和初期(1926)頃、人口5万人ぐらいの時に、すでに160件近いラーメン店(屋台)があったということです。

大正5年(1916)佐野に、洋食店「エビス食堂」が開業しました。ここにも中国人コックが居て、そこで修業をしていた小川利三郎さんは、青竹踏みの製麺法を学びました。

小川さんが独立して中華そばの屋台を始めたのは昭和5年(1930)のことでした。その後「宝来軒」を開店し、青竹踏みを店先で見せるということが有名になり、現在も継承されています。浅草の「来々軒」も喜多方の「源来軒」も青竹踏みの製麺法でしたが、今日、佐野が有名なのは、多くが機械製麺になった中で、青竹踏みの製法を継承していることにあります。

佐野にラーメンが栄えた背景には、都市化の波が押し寄せたことと、中国人の存在の他に、周辺が小麦産地であったこと、渡良瀬川の水運によって江戸へ通じていたことなどが考えられます。

今日では人口8万人の佐野市内に170件のラーメン店があり、佐野ラーメンの特徴は、細めの縮れ麺、カツオ節でとった澄んだ醤油味のスープ、トッピングはチャーシュー、メンマ、ナルト、ネギなどが主流です。

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